こんにちは、ぽっきいです。
今日は、ふと思ったことを短い文章で書いていきたいと思います。
テーマは・・・
あなたは出会って、それで何がしたいのか?です。
普段からTwitterやブログで出会いについて発信しています。リアルで出会いの指南をすることもまれにあります。
多くは出会えないという悩みを持っている方々(男女ともに)ですが、こう質問しています。
「なぜ出会いたいのか」
「出会った先に何があるのか」
婚活や、恋人探し(恋活)であれば答えに困ることはない・・・と思うかもしれませんが、全員が言葉に詰まります。
なぜ出会いたいのか
↓
結婚したいからです
↓
結婚してその先に何があるのか
↓
何って・・・
↓
なぜ結婚したいのか
↓
・・・・
こんな調子です。特に婚活女子と呼ばれる女性のうち、離婚歴のある中年女性は例外なくこれです。
これが既婚者の不倫相手探しでも同じです。セフレ探しでも同じです。
なぜ出会いたいのか、その先どうしたいのか、について明確な答えを持っていません。
もちろんそんな答えを持っていなくても、相手が見つかるケースも多いでしょう。婚活アプリで誰かと面談して「付き合った」と思うことも出来るし、セフレみたいな関係も意外と簡単に相手が見つかります。
でも長続きしません。長続きしないどころか、多かれ少なかれ心に傷を負います。自己肯定感を大きく傷つけるわけです。そして相手のことを黒歴史として粗末にする。記憶さえも否定する。
それはやはり、なぜ出会いたいのか・その先どうしたいのかという答えがないからです。結婚だとかセックスだとかをゴールだと思っているようでは、自己肯定感がボロボロになっていくだけです。それ以上に、自分が加害者として他人の自己肯定感を傷つけることにもなります。いがみ合う幼稚な顛末になるのも当然です。
年収の高い男に、子供の父親になって養ってほしい
スタイルのいい女だから、連れて歩いて自慢したい
彼氏といるのが疲れるから、癒しの男がほしい
彼女がフェラチオが下手だから、上手いセフレがほしい
他人に対してこういう利己的な願望ばかり持つと、同じレベルで利己的な人間が呼応してしまいます。面白いほど似た者同士が出会うのです。
その結果は、利己的な人間同士で醜い争いが起こるだけ。
お互いが加害者としてお互いの人生に傷をつけてしまいます。
誤解がないように言うと、結婚したいと思う気持ちも、セフレが欲しい気持ちも否定はしません。その気持ちはよく分かります。
人間関係の種類など沢山あっていいはずです。結婚する人達、しない人達、婚外で結びつく人達、セフレ、友達、性的なプレイのサークル、いろいろです。
でも、それが幸福につながっている人と、いない人と分かれています。
その差はなんでしょうか。
「相手を思う気持ち」それだけの違いです。
これは本当に難しくて、利己的な人間も同じことを言うわけです。
好き好き言うけど、好きなのは自分だろ?と突っ込みたくなる中年男女もいます。Twitterにも沢山いますよね。好きが続かなくなったり、飽きたりすると、相手を悪く言うか発狂するかの人達。
人を利己的に扱うとそうなるわな、と多くの人から嘲笑されていることにも気づきません。
他人を気配ることが出来ない人は、他人から絶対に気配ってもらえません。自分が相手に対して抱く気持ちに利己心が多ければ多いほど、相手は敏感に反応し、同じレベルで利己的な態度を取ります。
誰にでも利己心はあって当然ですが、それをどう相手との関係性の中で昇華させていくのかが、幸福な人たちは違います。
「わたしはあなたと会いたいと思っている、だから明日のデートは楽しみなんです」
「オレは君がいないと困る、だからこそ君のために何かしてあげたい」
「いつも気配ってくれてありがとう、自分はどうお返しできるだろうか」
「今日はとても楽しかった、また会ってくれる?」
「迎えに来てくれるの嬉しい、時間は正確じゃなくていいから気をつけて来て」
利己的な自分の感情を、相手への気配りに昇華させていける人は、結婚でもセフレでも上手くいっています。
大切にしたいから本当に気を配る、愛されたいから本当に大切にする、いい関係でいたいから言葉を大切にする。
出会いたいのは、愛を交換したいから
その結果、どういう形になろうともお互いの幸せを願える関係でいたいから
きれいごとに感じるかもしれませんが、刹那でもなく、幼稚でもない大人の関係性を築ける人たちはみなこういうことを考えています。
オトナになるほど、献身という言葉の意味と重さに気づいていくものです。
子供には絶対に理解できない感情ですからね。献身とは利己心を愛に昇華させていくための修行なわけです。
婚活も、セフレ遊びも、究極は人間修行につながっていないとどんどん荒むだけです。