今日は少しエロや出会いと離れた話題を。
今日のテーマは、「無理をする人」です。
最近、こんなことを言う人が増えたと思う。
「自分、無理をしてました」
正直、最初なんのことか分からなかった。何語なんだろうとさえ思った。
俺自身は今までの人間関係で、「無理をする」ということは、皆無だったような気がする。
いや、俺は目指す生き方をしてきたので、当然若い頃に無理はあったかもしれない。
背伸びもしたはずだ。
愛想笑いも、おべっかも、なんでもしてきたはず。
成功とは不自然なことを習慣化することだと教えられてきたからね。
でも、苦しいという意味での「無理」はしなかった気がする。
そもそも無理をしたとか苦しかったとか、そういうことを感じたことがない。
でも最近、「無理をしている」「無理をしていた」と死にそうな顔をして言う人が多いので初めてその感覚が存在するんだと知った。
へえ・・・人間関係で「無理をして苦しくなる」人っているんだな・・・って。
俺からしたら宇宙人を見るような感覚だ。
何が苦しいのか分からない。
人間関係で無理をしていると言い出す人に共通するのは、いい人になりたがるっていうところだと思う。
優しいとか、頼りがいがあるとか、思いやりがある、なんていう価値観の重さが、俺が想像するよりずっと重いらしい。年齢問わず、なんだか時代の傾向として。
いい子でいなきゃならない
常識的でいなきゃならない
退屈だと思われたくない
気が利かないと思われたくない
愛されたい
認められたい
そういう「ぶりっこ」の価値観が、めちゃくちゃ大切らしいんだ。大切というか、強迫観念かな。
だから、「無理をする」
行きたくないデートも、楽しみ!と言う。
やりたくない残業も、まかせてください!と言う。
頼まれごとも、はい喜んで!と居酒屋みたいなことを言う。
〇〇させていただきます、みたいな自分を下げた言い方が増える。
〇〇さんにお世話になっているので、代金(報酬・時給)は要りません!と無料サービスをする。
それって、古い言葉で言うと「安請け合いの無責任」ってやつだ。
俺からしたら、カッコつけでしかない。
結局どうなるかというと、状況が自分に重くのしかかるんだろうね(笑)
平気でうそをつく
平気でドタキャンする
当てにされていた仕事を失礼ないい方で突然断る
本当はやりたくなかったんですと後になってからキレる
無断ですっぽかす
怖くて断れなかったと後で相手のせいにする
そのくせ、罪悪感に苦しむ(笑)
「わたし、無理をしてた」って言葉が、そこで出てくる。あたかもそれが正義であるかのように。
あるいは、突然決意したのか、キレたように自己主張をする。追いつめられた子猫のように。
「残業なんか私はお断りです!」みたいな(笑)それ上司に対するいい方じゃないだろうっていう。
自分は間違えていないという謎の論理が延々と出てくる。
幼すぎるんだよな。
安請け合いしといて、何一人で思い詰めてんの、きっもいなと思う。
最初から出来ること、出来ないかもしれないけどやってみること、断ることをきちんと区別したらいいのに。
こういう人はどの年代でもいるが、最近とかく増えているように思う。
出来ないことなのにカッコつけてしようとしたり、出来ないかもしれないことを上手に相手に伝えて落としどころを探るという駆け引きが出来ないからだろう。
なぜあの時言わなかった?と質問すれば、決まって返ってくるのはこうだ。
「言いづらい雰囲気だった」
つまり自分は悪くない、自分以外の誰かが悪いから自分は無理を「させられた」んだ、ということだね。
上司が怖いから言えなかった、彼氏が不機嫌になるのが怖いから言えなかった、彼女ががっかりするだろうから言えなかった、奥さんが怒鳴るから仕方なくやっていた、そういう誰かのせいにするのだと思う。
と指摘すると、また言う。
「いえ、自分が悪いんで」
そういう、いちいち優等生みたいな受け答えをしようとする。でも自分が悪いと思っていない。だからまた最後には失礼なことをやりだす。同じことを何度でも繰り返す。
安請け合いの無責任を、これほど地で行く人はいない。
仕事であれば、無理をすることが8割以上ある。というかほとんどは無理だ。
でも仕事では「やらない」「断る」ことは現実問題として出来ないよ。
だから、予想される「無理」を最初から話し合う必要はある。
出来ないかもしれない理由を伝え、駆け引きしておけば、相手だってリスクを負うことになるので、違う人にも仕事を分散させるなどの対策を取るよ。
そういう事前の駆け引きをすることもなく、「はい喜んで!」と安請け合いすることが美徳とされてるんだろうか。
まあ確かに美しいけどね。
最終的には、かなり嫌われるだろうに。
そういう人は、今日もまた頑張って無理をしていればいいと思う。
そういう人が、「人のため」と言って、人を傷つける人なんだよな。