ぽっきいブログ

唯我独尊ぽっきい師が伝える出会いのマインドと毎日のこと

その日記が読み手の心に届かない理由

こんにちは。

 

Twitterのアラフォー裏垢人妻15人と会ってみたという企画をお届けしている最中ですが、そればかりだと申し訳ないので、ここで少し通常の記事も書きます。

 

今日のお題は、「その日記が読み手の心に届かない理由」です。

 

ご存知の方も多いと思うけど、ぽっきいは出会いのノウハウも提供していまして、

 

ぽっきいメソッドとしてHPまで作っています。

 

こちらです

↓↓↓

 

まあ、読んでいただけばわかるんですが、要はネットで出会うためには、相手に興味を持っていただく仕掛けが必要だということです。

 

営業で言うと飛び込み営業ではなく、きちんと継続的、永続的に紹介を貰える仕組みを作ると仕事が楽ですよっていうのと同じ。

 

その方法の一つが、出会い系サイトの日記機能を使うということ。

 

このホームページを公開してからかなりの数の反響をいただきました。

 

多くは、信じられないくらい出会えたとか、今まで1人も出会ったことがないのに初めてまともな出会いがあって驚いているとか、そういう成果を出したよっていう報告です。

 

でもねえ、一方で、ぽっきいメソッドなんて嘘だと言う人もいる。

日記なんか書いても何の効果もなかった。ぽっきいが公開しているテンプレートを使っても、知らないおっさんに批判されただけで女性とは出会えなかったと言う人もいるんだよね。

 

同じノウハウを使って、出会える人、出会えない人がいるって当たり前のようでいて不思議だよね。

 

もちろん、ノウハウを自己流に改ざんしてしまえば、絶対に出会えない。それは間違いなく言える。

2017年に初めてこのノウハウを出した時も、テンプレートを自己流に書き換えて失敗した人がたくさんいた。

悪いけどそれは当たり前。

 

でも、自己流にしているつもりはなくても、結果が出ない人もいる。

 

こっちは真面目に取り組んでいるだけにちょっと可哀想で。

 

実はそれにも理由があるんだよ。

 

読者さんの1人が、俺に「結果を出せなかった日記」を5回分送ってくれた。

 

誰も興味を持ってくれないと嘆いていて、もちろん誰にも出会えない。

何がダメなのか添削をお願いしたいということだった。

 

赤ペンぽっきい先生が拝見してみたところ、

 

うーん、と。

 

たしかに文章が上手くて、丁寧だし、面白いことを書いてる。

変に気持ち悪いところもない気がする。

 

自分の日常生活を書くというぽっきいが教えるノウハウもきちんと入ってる。悪くない。

 

一瞬、これは結果を出せるだろって思ったんだけど、いや違うなとモヤモヤして何回も読み返した。

 

違和感がぬぐえないんだよね。

 

なんだろ、この白ける感じ。

 

 でも、俺が女だったらという仮定で読んでみると、やっとその違和感の正体が分かった。

 

読み手のこちらの感情が全く動かないんだよね。

面白いだけ。

 

へえ~って思って終わり。

そうなんだ~って思って終わり。

 

正直、5回分読むのはしんどかった。面白いけど、つまんない。

 

なぜ感情が動かないかと言うと、この日記の文章が読み手に刺さらないからだよ。

 

つまり・・・

 

自分に向かって書いてくれている感がない。

 

文章が自分に向かってこない。

たぶん、万人に向かって書いていて、万人が「うまいね」と言うと思う。

 

でも自分には関係なく感じる。

 

例えばこんな二つの文章があるとする。

 

①「スイカと言うのは夏の風物詩だ。スイカを毎年買う人も多いことだろう。冷蔵庫で冷やしておき家に帰ってくると食べる。これは至福の時だ。」

 

②「真夏に冷えたスイカを食べるとき、ひと口目の香りと触感に子供の頃の母の姿を思い出す。いつも厳しかったけれど、学校帰りにはスイカを切り分けて食べさせてくれた。スイカのおいしさって、ちょっと切ない。」

 

どっちの文章も悪くない。

 

でも前者は、せいぜい、スイカって夏の風物詩だよねくらいの感想しか持てない。

 

後者は、なんか似たような経験ってあるような気がするなって思う。感情がちょっと動く。感情が動くと、良くも悪くも、心に感触を覚える。

 

感情が動かされることが嫌な健康状態の時もあるけど、心に余裕がある人ならその感情の揺らぎみたいなものを心地よく受け取る。

 

感情が動くことで自分の心に残っていく。

 

なんだか文章が自分に向かってきてるような気がしてくる。

 

それが繰り返されると、その人をフォローしたくなる。

(または、意味もなく嫌いになる)

 

万人に受け入れられなくても、自分にとっては心地のいい日記だなって思ってもらえる。

 

感情に届く文章の書こうとするとき、気を付けるのは、主語が「自分」なのか「神様」なのかということ。

 

①「花が咲いた」

②「綺麗な花が咲いたのを見た」

 

①の文章って、嘘なんだよ。神様の目線。花を主語に出来るのは神様だけだ。

 

②が正確。自分が見て感じたことだから。

 

前者の文章の嘘が、読み手の興味を失わせる。

 

まるで、役人の書いた報告書を読むようなもの。

 

Twitterなんかも同じ。

 

神様目線の文章はファボがつかない。嫌われもしない。好かれもしない。

 

自分目線の正確な文章は、批判を含めて読み手の感情を動かしてる。

 

出会える出会えないって、こんな些細な違いの積み重ねなんだよ。